【積読は正義】解消できなくても大丈夫——永田希

読書論

気がつくと本が床に積み重なっている。
本棚はすでに埋まり、どうしようもない。
積まれている本は正直、いつ買ったのかも思いだせない。

だというのに、週末の買い物ついでに書店によることはしょっちゅうある。
正気か???

読書をよくする人なら、共感してもらえるはずだ。
そうすると問題になるのが、いわゆる”積読”

積まれた本たちは、早く手に取ってくれとプレッシャーを与えてくる。
ような気がする。

でもそれは勘違いだし、積読はある種、本としてのあるべき姿だという。
永田希さんの『積読こそが完全な読書術である』(イーストプレス 2020年、以下『積読こそ』)を参考に、積読してしまう僕たちを肯定する。

そもそも本は保存のためのもの

本は情報を伝えるものだ。読んでこそ意味がある。
それは正しい。
でもそれと同時に、本は情報を保存しておく機能もあわせ持っている。
昔は石やら竹やらに、情報を刻んでいたことを思い出してほしい。
あれこそ本の原型だ。

人間の知恵は素晴らしいが、口伝だけではなにかのミスであっさり失伝してしまう。
だからこそ本は耐久性のある外部装置として、情報を保管してそこにあるだけでいい。
それで十分に目的を果たしている。

でもそうはいっても、積んでいるだけというのは本に悪い気がする。
そういう感覚を覚えるのは私だけではないはずだ。
それはなぜなのか。

本は読まれることを期待している

石を掘っていた時代とは異なり、現代の本は多くの人間が関わっている。
著者はもちろん、編集者、装丁、広告、書店員。
あげればキリがないが、多くの人が携わっていて、そのうえで私たち消費者のもとに届く。
そうなると自然、私たちは感じてしまう。
本を作ってくれた人たちの期待、”読んでほしい”という願いを感じずにはいられない。
それになにより、本を買った自分自身が本を読むことを期待している。

その期待に応えられていないことに、僕たちは罪悪感を感じてしまう、と永田は指摘している。

でも完璧な読書は無理

本は読まれることを期待されているわけだが、読んだら解決するという話でもない。
今度は、正しく読むことの困難さが出てくる。
『積読こそ』では、ショーペンハウアーなど多くの読書論を引用している。
そのうちの一つ、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』を用いて、完璧な読書が成しえないことを指摘する。

僕にとって、この項が一番印象的だった。
自慢じゃないが、僕は仕事中に口頭で出された簡単な指示ですら、意味を取り違えることがある。
そんな人間が本という、練り上げられた思考の塊を正しく処理できるか? そう、できない。

もちろん僕の脳みそが残念という側面はある。
けれど、これを読んでいる賢明なあなたでも読み違えることは大いにありうる。
というか確実に読み違えている。
他者の意図を完璧に理解することの難しさは、少し考えればわかる。

人は己の知ることしか知らぬ! と叫んだのはガンダムシリーズに登場するキャラクターだが、まさにその通り。

僕は僕の見方でしか世界を見れないのだから、本を読んだってその中身を完全に理解することはできやしない。
そうなると、完全な読書なんて不可能。
読み違え、勘違い、思い込みの三重奏を奏でて、遥か彼方を目指してさまようことになる。

でもそれは絶望じゃない。

心置きなく本を積み、読む

どんなに不完全であっても、何かを書き、それを積むことで、いつか誰かに読まれるかもしれないということ、誰かがいつかそれを読めるかもしれないということは、書物を生み出し、それを継承し続ける限り、何かを読める人の希望であり続けるからです。

『積読こそが完全な読書術である』(永田希 イーストプレス 2020)

上記は、『積読こそ』の終わりから引用した一文だ。

僕はこの本を読んで、自由な読書への期待を感じた。
学校の夏休みの宿題で与えられた読書感想文と違って、読書はもっと自由にしていいと思う。

とはいっても、完読しなくていいという読書論自体は、珍しくない。
速読をテーマにした本もたくさん出ているし、流し読み飛ばし読みは、時間に追われる現代人にとって必要に駆られた方法だ。

それでも、『積読こそ』に惹かれたのは、多くの識者の著作を引用し、読書の不可能性と、積読という性質の丁寧な解説があった点だ。
過去、僕にとって、ここまで本の性質を詳しく論理的に解説してくれた言葉に出会ったことはなかった。

そういうわけで、僕は本をこれからも買うことにした。
どれほど読んでいない本が積み重なっていても、懲りずに書店に通い詰める。
できる範囲で本を読み、興味のある本は手に取ってみる。
そこで手にした本は、いつか僕が中途半端に読むのかもしれないし、あるいは読まずにただ積まれて古書店に売られることになるのかもしれない。
本が持つ情報の保存性を、これからもどんどん活用していく所存だ。

でも『積読こそ』で言っていたように、僕のこの理解も読み違っているのかもしれない。
内容については、実際に手に取ってみて感じてもらえたら嬉しい。

参考文献
『積読こそが完全な読書術である』永田希 イーストプレス 2020年