【怒れないあなたに】従順すぎる自分を変えるにはーー将基面貴巳

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「しかたがない」とあきらめず、目の前で進行している災難が不運ではなく不正であると判断するなら、「こんな不正が堂々とまかり通っていいはずがない」と怒るのが自然なはずです。

『従順さのどこがいけないのか』将基面貴巳 ちくまプリマー新書

うまく怒ることは難しい。
怒るべきタイミングを見極め、適切な分量の怒りを開放することの難易度といったらない。

  • 自分や家族、友人が直接的、間接的に攻撃を受けているとき
  • 自分の情けなさ、ふがいなさを感じたとき
  • 誰かの不正を見つけたとき

よくある状況としては、こんなところだろうか。

2つ目の自分のふがいなさに対する怒りは、原因も矛先も自分に向かうから、多くの場合問題にならない。

問題は1つ目と3つ目の状況だ。
誰かから攻撃を受けているとき、もしくは不正している誰かを見つけたとき。

そういうとき、あなたは怒れるだろうか?

もしくは、いまは怒るべきタイミングだと判断ができるだろうか?

きっと、あなたはこれまで怒ることはなかっただろうし、そもそも自分が怒るべきなのかもわからなかったと思う。

でも、なんとなくあなたが感じているように、怒るべきときに怒れないというのは、あなたを根本的な部分でダメにしてしまう可能性がある。

今回は将基面貴巳の『従順さのどこがいけないのか』をもとに、状況に従順すぎるあなたが変わるために、なにをすべきかみていく。

どういうときに怒るべきか、そしてどうやって怒るべきか。

あなたがこれから先、問題に対処するときの参考としてほしい。

なにを指針として怒るのか

怒るということは、なにかが正しくないと思っているからだ。

では、その正しいかどうかの判断は、なにをもって行うか。

『従順さのどこがいけないのか』(以下、同書)では、3つの指針が示されている。

  • 神の命令に従うから
  • 自分の良心の声に従うから
  • 「共通善」に従うから

共通善は耳慣れない単語かもしれない。
同書での紹介では、特定の集団のなかでよいとみなされ、集団の利益になることの意味、とされている。

なにかに抵抗するからには、根拠が必要だ。

つまり、あなたが最初にやるべきは、自分がなにを大切にするか、普段から考えておくということだ。

この記事を読んでいるくらいだから、あなたにはきっと確たる宗教や良心というものはないのだと思う。

そうであれば、共通善を考えることをおすすめしたい。

僕としては、共通善を持つことが一番よい方法だと思っている。

でもそれは僕が特定の信仰を持たないからだし、良心自体が共通善と被る部分が多いからだ。

もし、あなたが宗教を信じていたり、なにかしらの個人的な良心があるのなら、それを根拠に怒る権利があなたにはある。

なにに服従するかを決めるのは、ひとりひとりだ。
みんな違う考えを持っている。

もし考えがぶつかれば、僕たちはお互いに怒ることになる。

そうやって考えを戦わせることで、僕たちはもっと良い方向へ進めると信じたい。

怒るための判断基準

自分が服従するものを見つけたのなら、それを根拠にあなたは違和感を覚えることができるようになる。

とはいえ、それですぐに怒りを表明できるかといえば、そうはいかないと思う。
自分は違うと思っているけど、果たしてそれを表明するのが正しいかどうなのか……。

普段の生活でそれを判断することは、とても難しい。

映画や小説なんかでは、すごくわかりやすい。
音楽や演出が、いまはわるいことをしていると教えてくれる。

でも現実にはそんなものはない。

さて困った。どうしようか。

同書で紹介されている判断基準として、

  • 不運なのか、それとも不正なのかを問うこと
  • すぐに「しかたない」と言って諦めない

というものがある。

不運とは自然災害のように、人間がコントロールできない事柄によるもの、であり、
不正とは、特定の人間の自由意思により起こった事態のこと、とされる。

この違いはわかりやすい。

誰かの自由意思による結果、不正に対しては、しかたないと諦めずに怒りを表明するべきだ。

消極的不正に加担しないために

とはいえ、不運か不正かの判断にも、困難は付きまとう。

異常気象や自然災害も、人間の経済活動が原因とする見方もある。
そうなると、自然災害は不運ではなく、怒りをもって立ち向かうべき不正になる。

限られた情報から、不運と不正を見極めるのは難しい。

だからこそ、普段からよく考えて生きることが大切だと思う。

僕たちが怒りを表明しないこと、声をあげないことは、消極的とはいえ不正に加担することになる。
それは自分が大切にしているものへの裏切りだし、自分で自分の世界を苦しいものにしてしまっている。

怒ることは難しい。

でも、いまある人権とか、自由とかは、過去のひとの怒りから生まれてきたものだ。
僕は奴隷として生きるより、いまの自由ある生活がいいものだと信じている。

独りよがりにならず、できるだけ多くのひとが楽しく暮らせるように、うまく怒れるようになりたい。

参考文献
『従順さのどこがいけないのか』将基面貴巳 ちくまプリマー新書 2021年